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食オタク主婦ブログ

未曾有の・・・

英国でも発生直後から連日、
この災害のニュースはずっとトップ扱いでした。
 
現在はリビア情勢にシフトしていますが、
私は当時停電していた日本の実家(関東)よりも先に
あの津波の映像を見ていたようです。
 
黒い波に祖国が覆われていく映像に、思わず涙が出ました。
 
でも、そののちに知っていくことのほうが
もっとひどかった・・・・わけです。
 
英国インディペンデント紙が本当にいち早く
「頑張れ日本、頑張れ東北」とエール広告を出してくれましたが、
 
「頑張れ!」と、対岸から言う言葉と、
「頑張ろう!」と、同じ立場で言う言葉とは、
実は乖離した「違う言葉」なんだと、
日本人を何十年もやってきて初めて思い知らされました。
 
当事者でないものから「頑張れ」、とは今、とても言えない。
 
(当新聞の真意は解るし、他に訳しようがない(Don' give up Japan)ので
批判ではもちろんありません。実際にあれをすぐに街中で見たときは、
遠い祖国を心配する身として、グッとくるものがありました。ありがとう。)
 
更に、英国にて諸手続きが有り、
とある機関の窓口にオットと行ったときのこと。
 
「あなた方の日本の家族は大丈夫だったか?」と
窓口のおじさんに優しく聞かれました。
「ハイ、大丈夫です、ありがとう」と答えると、彼は静かに
「良かった・・・」と言ってくれました。
こういう時の英国人は本当に親身になってくれる人たちだと思います。
 
私は「スマトラ沖地震」の際に近くのシンガポールに暮らしていて
地震のない当地が揺れてビックリした記憶を持っています。
あの地震津波では、実はもっともっと多くの方々が亡くなっています。
あの時も心が痛みましたが、今思うと、
正直「それなりにだった(痛んだ)」という感じ。
 
人の命の重さは同じなのに、祖国の大災害となると
全く感じ方が違ったので、今更ながら
自身の想像力の乏しさに反省しきりです。
 
でも、人間、全てをリアルに感じることが出来ても、大変かも知れません。
 
今、遠い異国から出来ることは少なくて、ただ祈るだけ、
チャリティー・コンサートなどに参加したりする方法もあると思うけど・・・
個人的にはいまいち、ピンとこない。
うちからは、ささやかだけど、義援金の小切手を送らせて頂いたところです。
 
それぞれの立場で、それぞれの考え方で、それぞれの方法で、
微力であっても、遠い我が祖国の復興の一端に
心から参加出来たらいいのだと思います。