いつでもどこでも美味しい暮らし

食オタク主婦ブログ

Kちゃんのこと(私的な記録)。

ちょっと重たい話ですが。
 
先日、一人の女性が乳ガンのあと、別のガン(転移ではない)を患い、
最初の乳ガン発見からたった2年(!)でこの世を去ってしまいました。
 
享年四十二(歳)。
 
この方は私の幼ななじみでもあります。
 
子供のころ我が家は父の会社の家族寮に住んでいたのですが、
そのときにお向かいにいたのが、うちと同じ3姉妹の、そして、その真ん中っ子のKちゃんでした。
 
昭和のこのころ、「公団」と言われていたアパートと同じような家族寮は、
せまい階段のちいさな踊り場をはさんで2軒が向かい合うのみの造りだったので、
歳の近い私たちは毎日顔を合わせ、一緒に学校へ通い、よくごはんを一緒に食べたり、
遊んだり、仲良くしていたのを鮮明に覚えています。
 
長女の私が小学校高学年のときに我が家がそのアパートを出るまで、
そして早い段階で地元を出てしまった私とは特に、そこまでのおつきあいでしたが、
その後しばらくして私と彼女は偶然共に「父親の会社」に就職をし、
先輩と後輩としてまた縁をもつことになります。
 
でもなかなか顔を逢わす機会もなく、ほどなく彼女は会社を辞めてしまいます。
姉御肌の私(お節介とも言う)は、彼女とそのうちおいしいものでも食べに行こう
(連れて行ってあげよ~(年上だから))、などと、漠然と思っているうちに機を逸してしまいました。
 
でも、お互い母親を通して少なからず近況は知っていたようです。
 
私はこれで、"逆縁"(仏語の俗への転用語で、親より先に子供が逝ってしまうという意味)という
悲愴な現実を背負うことになってしまった方を6人(3両親)も身近に見ることに
なってしまいました。
 
どうして(・・・と言っても仕方がないが)この世にこれほど残酷なことが有るの???
そして、家族を失って自身もつらい兄弟・姉妹が、さらにその親を見る思いは???
(あの震災に代表される、こういう方は他にたくさんいらっしゃるのですよね。)
 
帽子を深くかぶりながら抗ガン剤を投与し続けていた彼女の最近は、
やせ細り、そのために床ずれも起こし、大変痛く、つらく、それは厳しいものだったそうで、
彼女のお母様は、「少しでも側に居てやりたい」と、
私の母と一緒に長年やっているテニスも、他のことも止め、
毎日かかさず病院に通っていらっしゃいましたが、とても見てはいられなかったそうです。
 
それでも彼女は最後まで母親に心配をかけまいと気丈に「大丈夫」を繰り返し、
一切のワガママを言わなかったとのこと。
これまた人って、こんなに強くなれるものなのでしょうか?
 
お母様はこのところは、自分の母親に(Kちゃんの亡くなったおばあちゃんでもある)、
「どうかもうおむかえに来てあげてちょうだい」とまでのお願いもされていたそうです。
(無論、揺れ動きながら・・・。)
 
自分の母からこれを聞いた瞬間、(我慢していた)涙がぼろぼろとあふれてしまったのですが、
同時に、
 
"生みの親と育ての親が親権を争っていたため、両方から一人の子供の手をひっぱらせ、
痛さに泣き叫ぶ子供の手を離したほう (ここでは産みの親) を、
「本当の親」と判定した、大岡裁き"、
 
あの話を思い出しました。(育ての親は親ではない、と言う意味ではなく。)
 
ごく普通の関係である限り、親っていうのは、そういうものだと思います。
毎日毎日尋常でなく苦しむ、愛する娘を前に、どんなに代わってあげたかったことか。
 
子供や姉妹を失ったご遺族のぽっかり空いた穴が埋まることはないと存じますが、
苦しみを共有してきて、それが痛いほど解るからこそ、やっとやっと楽にならんとする大切な家族が
安らかに天国に召されたとき、少しでも安堵の気持ちを持つことは出来るのでしょうか?
 
特段容態が急変したわけでもなかったその日、彼女はいつもより早めに
「おかあさん、私は大丈夫だから、帰って」と勧めたそうです。
前日にはたまたま、かなり遠方に住むお姉ちゃんがお見舞いにも来ていたということ。
 
そしてお母様が病院を離れて、ほどなく知らせがあったということでした。
 
たった一人で・・・・・。
 
姉妹の中でも一番のお母様似だったKちゃん。
遺影は、きれいだった、元気だった頃の、面影を残しつつも幼い頃とは違う彼女がそこに居たそうで、
私の母も40年来のお友達であるお母様と一緒に泣いたそうです。
 
私はと言えば、また何の痛い思いもせず、
かけがえのない家族とかけがえのない今日を教えていただきました。
 
でも生きている限り誰にでも(平等に?)、これらが無限に続くのではなく、
実は限りが有ったのだということを思い知らされる日が来る。
 
母を通して近況を知っていたKちゃん、
私のことなんて忘れていると思うけど、
貴女のことをずっと覚えていたいと思います。
 


 
昨日4月12日は、亡くなった大学時代の親友の誕生日でした。

毎年この日にいつもいつも思い出すのは、あの時からまったく歳をとっていないN子と
(うらやましい・笑  ←冗談ばかり言っていた悪友だったから、時々残された皆(4人のグループ)で悪口も言います。)
卒業後も併せて全員が15年間かかさず"お誕生日会と称した飲み食いおしゃべり会"、
をやっていた"あの頃の私たち"です。
 

 
今日は超私的な話で申し訳ありません、ごめんなさい。
出来ればシンクロ?しないでほしいと祈りつつ。
 
さて、週末です。
でも私はいろんなことに感謝しながら、人生楽しみますよー、遊びますよ~(笑)
 
皆様もきっと、楽しくお過ごしくださいね!

 


 
英国では、あちこちに見かける、メモリアル・ベンチ↓
(亡くなった方の関係者が名前やメッセージなどを刻んだもので、
生前に好んだ場所などに寄付されます。素敵な文化ですよね。日本でもほんの少し見かけるけど。)
 
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↑でも、彼らはここにはいない。
本当は、お墓にもいない。

でも、きっと大気になって、どこかにいるんだよね!
 
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