さて元旦、南房総の海の幸を車に積み込んでポチ(夫)実家を後にし、、
一路自分実家へ。
(夫実家での正月はこちら。)
出迎えてくれたのは、玄関、家の中、
花の大好きな我が母のお正月飾り集。
随所にコワザがあり、なかなかカワイイ!
大晦日までポチ実家でお手伝いだったため、
今年は実家でおせちを手作ってあげられなくてごめんよ>母。
元旦夕方、母がもともと作った分は既に食べ尽くされていたので(笑)
私が後から追加して出来たのが、お代わりおせち重↓
母のきんとんはくちなし色の裏ごしサツマイモあんと栗。
その周りにブログのことを忘れてロースハムを詰めてしまって失敗(笑)。
妹作の出汁巻たまごがほとんど無くなっていて(涙)、
急きょ、味見だけのために持ってたウメももの伊達巻を
超薄切り(笑)で足しました。
↑ウメもも作、合鴨出汁と焼き餅、ネギと三つ葉だけのシンプルなお雑煮。
いい写真が無くてがっかり(~~;)
ちなみに、長野県の父実家では、寒ブリの出汁。
それが山間の村ではごちそうだったと思われます。
↑同じく、長野県から父が持ち込んだ文化で、
1月の2日の朝に必ず食べるのは、とろろ芋(長芋)ごはん。
父はこれだけは毎年欠かしたことがなく、
みんなが正月疲れで寝坊してる中、たった一人早起きをして
長芋をすり鉢ですり、出汁を足し、
もくもくと30分間、すり続ける・・・・。
そこへ寝ぼけ眼で起きてくる、女たち・・・(笑)。
この、父からの無言かつ巨大なプレッシャーを
生まれてから今まで受け続けている私達姉妹。
ボディーブロー(笑)・・・。
仕方ない、これだけは継いで行こう!!!
・・・・ポチが(爆)。
だって男の仕事でしょ?!(爆)。
この「1月3日じゃなくて1月2日にとろろ」という慣習は、
少しだが?、ちゃんとあるらしい。
長野県のある地方では大晦日におせちを食べ始める(!)、という話もあり、
そこからすると2日とろろ、という話は十分あり得る。
そのほか、祖父母が元気だった頃に見たお正月(のごちそう仕事)は
荒巻鮭を一尾まるごとカットして部位ごとに保存したり(男性の仕事)、
もちろん餅は臼杵でついて、丸もちの他、
伸して、角に切って米粉を振る(家族全員で)、など、
今では父すらもやらなくなったことを子供心に結構覚えている。
受け継いで行くもの、途切れてしまうもの、
でも文化は食事だけじゃなく生活そのものなので
どこまで遡って調べられるのか、はたまたそれを全部知りたいのか、
という微妙な壁(疑問)にも行き当たります。特に田舎はね。
でも父よ、安心して~、怨念のこもった直伝「2日とろろ」だけは
体にも良いし、私が生きている限り続けて行くからね~~。
ポチが。(しつこい。爆)
実家では女が3人以上(3世代!)集まった!、ということで、
新春のお買いもの(♥・笑)等に出かけてしまい、
ちょこちょこやってはいたものの、料理らしい料理はしなかったな。
でも、テキトーな食生活が出来る
(今日はこれ買って食べとこう♪、とかめんどいからもう外食!とか)、
女同士って楽しいよね(笑)。